まどろむ
(国立天文ニュース2007年3月号)
谷川清隆
「定年にあたって, なんでこんなタイトルで記事を書くんですか?」
わたしがいまも目覚めの途中という気がするからです.
よい写真を出せないのが残念です. 数少ない中から選んできたものを
お見せしましょう(写真 1).
目覚めているように見えますか?
近所のお姉さま方が今日から小学校に通いはじめて輝いている.
うらやましいと思いつついっしょに写真に収まった.
自分のごく近くしか見ない年頃です.
息子や娘が幼稚園に通っていたころにお遊戯会があったと思ってください.
先生は子供達を動かして親に成果を見せようとしている.
あれやりなさい. これやりなさい. 子供達は, 言われるがままに
動いてほぼ自動的.
ぼうーっとした顔をして, どこを見ているのやら
わからない. 先生の必死さと子供達の夢見る表情の対照に驚きました.
4, 5歳でまどろんでいるとしたら, いつ完全に目覚めるのですか? 8歳ですか
(写真 2), それとも18歳ですか
(写真 3).
大人になるということは,
完全に目覚めることでしょうか? 30歳に目覚めることはないですか?
あるいは, 人間は生涯目覚め続ける
生き物であるということはないでしょうか?
死ぬ瞬間が一番はっきりと目覚めている
ということがあっても不思議はないですよね.
研究者が研究するとき, はっきりと目覚めていると思いますか. 夢中で研究した
ら結果が出たということはないですか?
予期しない結果が出ることが
多いのではないですか? そんなときに, 前より目が覚めた気がするのではないですか?
年を取る, 衰えるというのは身体の別の場所でおこることでないのかな.
何かがくずれていく. 末端の細胞を制御できなくなるとか.
欲張りな知性は, 絶えず向上することを望む. 容量がきまっているなら,
幅を広くする. すると浅くなる.
幅が広くなればなるほど一ヶ所に割ける時間も
能力も減る. けれどそれは気にしない.
人類にも「目覚め」の類推があてはまると考える人はいます.
ゆりかごに乗せられた赤ん坊がどんどん物を食べる.
どんどん
大きくなってゆりかごから溢れそうになる. けれども赤ん坊を大きなベッドに
入れ替える親はいない.
ゆりかご一杯に蓄えられた食糧を喰い散らかす.
ゆりかごはどんどん汚れていく. 進んだ知性と感性を持つ超人類から見ると,
人間は1, 2歳の赤ん坊かそれとも小学生に見えるかもしれません.
まるでごみを出すためにだけ, 缶ジュースを飲み, プラスチック容器入りの
弁当を食べる. わたしだって便利さを捨てるよりは,
プラスチックを捨てる.
地球がきれいにしてくれる. ゆりかごは十分大きいはずと夢見る.
国同士の関係は、
ジャイアンやスネ夫がいて小学生なみ.
腕力にものを言わせて理由もなくなぐる. 一方ではあれくれなきゃいや、
とすねる.
素直な児はおろおろするばかりでしょう.
わたし自身に関して言えば, 最近の方が前より意識がはっきりしているように
思えます. 40年前は夢の中で生きていた.
30年前は自分が何をしているのかよくわからなかった. 20年前, ちょっとだけ
まわりが見えた. 50歳を越してからは, 物事がはっきり見えます.
そしていま, 前よりずいぶんと見える範囲が広がりました.
とはいえ不安もあります。頭の上から照らすカンテラの光の届く範囲が
限られているせいで, 過去のことはどんどん闇に消えていきます.
完全に忘れるのではないけれど, 思い出せるのは骨格だけ.
激しく燃える愛の経験はないにしても, 恋焦がれたことはあります.
その経験が知識としてしか残っていないとしたら悲しいことです.
ときどき記憶場所を確認して新鮮さを失わないように気をつけます.
「どんどん目覚め続けるとしたら, 定年はどんな意味を持つのですか?」
乗り換え駅のひとつじゃないかな. このまま進むことができるなら,
乗り換えることないじゃないですか.
自分が何をしているかもっと見えるようになるまで同じ列車に乗り続けたら
いい.
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