日、はえつきたり

『花野』 第24号, pp. 2 - 3 (2010年9月15日 発行)

    谷川清隆

突然電話器が鳴る。あわてて受話器を取る。「もしもし」。すると女性の声で 「日、はえつ・た・」という。「ええっ。何ですって?」。 こんどははっきりと「日、はえつきたり」。「して、あなたさまは?」と 聞くと、「とよみけかしきや姫なり」。思わず「ヘヘーっ」。

平成十三年一月二十七日、土曜日。東京地方は朝から大雪だった。午後、 国立天文台の三鷹キャンパスで会合があった。 気温が上がって雪は雨に変わり、会合が終わって外に出ると、 道路は雪のわだちに水がたまり、ビシャビシャで歩きづらい。 街で他の参加者とビールを少し飲んだ。電話がかかってきたのは、 研究室に戻って暖房を入れて、うとうとしているときだった。

国立天文台の質問電話係には、質問やめずらしい天文現象の報告がくる。 海外からも電話があるので、過去から電話がきてもおかしくない。 どなたか高貴な人がめずらしい天体現象を報告した。ただし電話番号をまちがえて、 谷川が受けてしまった。あるいは、 うたたねの最中に夢で電話を受けたのかもしれない。

夜の図書室に行って日本書紀の頁をくくる。 豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)は推古天皇だ。 推古三十六年三月、戊申、西暦で紀元六二八年四月十日に「日有蝕盡之」 (日、はえつきたることあり)とある。

推古天皇は何を訴えたかったのか? それが知りたくて、 日本の天文学者の意見を調べる。 小倉伸吉は千九百十六年、天文月報の『我國古代の日月食記録』という論文で、 「何人かの天体力学者の理論からどれも0.9前後の食分が出るから、 (推古日食は)飛鳥では皆既でなかったであろう」と推定する。戦後、 渡邉敏夫は『日本・朝鮮・中国日食月食宝典』で「大体食分が0.9ぐらいに なると,皆既と記したものと解してよいようである」。 内田正男の『日本暦日原典』、斉藤国治の『古天文学の道』でも同様な判断が下され ている。なんと、日本の天文学者はこぞって、「日、はえつきたり」は嘘であ ると言っている。おかしい。へんだ。わたしは推古天皇の訴えを真剣に取り上げ ることにした。これが、わたしと歴史との出会いである。

数日後、企画原案(論文原案)をたずさえて、国立天文台の同僚、相馬 充さんを 訪ねて共同研究を申し出た。 なんと、腰の重い相馬さんが翌日わざわざ研究室に来て、「いっしょにやりま しょう」という。後でわかったことだが、相馬さんを仲間にしたことは最善の 選択であった。片や意あまって(ことばでなくて)力たらず、片や力あまって 言葉たらず。ふたりで意あまって、力もあまるコンビができた。 その二日後の二月三日には、「推古三十六年の皆既日食の信憑性」という論文を 書きはじめる。すごいスピードだ。十月には中国はしん台に行って、 「郭守敬」研究会でこのテーマで講演した。勢い込んで書いたので間違いが あるが、天文月報に論説が出たのはちょうど一年後である。

地球は時計である。いまは一日二十四時間でまわっている。昔はもっと速く まわっていた。すると、昔、地球時計は遅れていた。研究結果によると、 二千七百年前、時計は 六時間弱遅れていた。二千年前には遅れは三時間弱であった。 千四百年前、遅れは1時間前後である。四百年前になると遅れはたったの二分になる。 十九世紀に時計を合わせた。いま、地球時計はふたたび遅れだしている。

「そういうことですか。それで、推古日食が皆既であることが証明でき ましたか?」。「うーむ」。皆既であったという感触は得ているが、万人が 納得するような結果は出せていない。 千三百八十年前、地球時計の遅れが一時間十分なら推古日食の皆既帯は 日本列島に沿って太平洋上にある。遅れが四十分なら皆既帯は西日本にある.

%この三十分の違いをどう解決する? 推古日食の信頼性を調べているのだから同時代の 他の天文記録を使うしかない. ひとつは天武天皇の紀元六八一年十一月三日の月に よる火星の掩蔽(えんぺい)だ。 この現象を勘定に入れると推古日食は皆既になるのだが, 五十年以上も離れて いるのが難点である。

もうひとつは隋の煬帝(ようだい)が見た紀元六一六年五月二十一日の皆既食。 当時、隋の都は先代が決めた長安と煬帝が作った東都・洛陽の二つである。 煬帝は長安に寄りつかず, 洛陽も留守がちで、東南や東北で戦争ばかりしてた。 日食の日、煬帝はたまたま洛陽に戻っていた。天文官がいっしょに洛陽にいれば 洛陽で皆既を見ただろう。すると時計遅れは一時間弱である。だから、十二年後の 推古日食は飛鳥で皆既であった可能性が高い。天文官が長安で皆既を見たのなら、 飛鳥では皆既でない。そこまでわかった。

とよみけかしきや姫に返事の電話を掛けたいのだが、申し訳けないことに、 まだきっちりした報告ができない。

(歴史天文学者)

谷川のホームページに戻る

国立天文台のホームページに戻る