フェアプレーと正々堂々

『花野』 第25号, pp. 2 - 3 (2011年9月15日 発行)

    谷川清隆

図書館の辞書の棚の近くに陣どる. 広辞苑でフェアプレーを引く. 「正々堂々たるふるまい」,「公明正大な行為・態度」とある. 英語の辞書を引いてみる. まずはオックスフォード辞典第二版. 「ゲーム中でのアップライトな行動」とある. 「アップライト」を引くと, 地面に垂直にたった状態とあり, 人間に関しては, 正しい道徳的な原理に 基づいていること, とか, 道徳的に正しく, 正直であって名誉を重んじる, とあり, これは日本語の「正々堂々」と重なる. 日本語の辞書は正しく訳しているように見える.

ところが, 現代英語の辞書の代表としてロングマンの「現代英語辞典」 を引くと, 「いかさま」せずに規則に則(のっと)ったプレーとある. 「いかさま」は規則 違反のことであるから, フェアプレーとは, 結局, 「規則を守ったプレー」の ことである. 道徳的な意味は抜けてしまっている. 日本の英和辞典を見よう. 「新英和大辞典」(研究社, 第六版)には 正々堂々のプレー, とある. 「ランダムハウス英和辞典」(小学館)には 「正々堂々の試合態度」とあって, 1595年ごろ使われたとある. 繰り返すが, 現代の欧米ではフェアプレーは正々堂々ではなく, 単に「規則に 則ったプレー」である. 日本の辞書では, フェアプレーは相変わらず正々堂々のプレーである.

日本での現実はどうか? 「スポーツマンシップに則(のっと)り、 正々堂々と闘うことを誓います」 これがむかし懐かしい高校野球の選手宣誓であった. 朝日新聞2009年8月8日(土)の「宣誓の変遷」という記事によると、 1980年代には「正々堂々」が姿を消し、「大いなる未来へ向かって」とか「夢」, 「仲間」という言葉が取って代わったという。その新聞記事には出ていないが, 2009年の段階で、大会委員長の挨拶には「フェアプレー」や「正々堂々」が 出てくる. おとなの世代は1980年までの宣誓と同じ考えを今で も持つことがわかる.

もう少し事例を考察しよう. サッカーの試合を見るたびになんと汚い競技だろうと思う. 審判の見て いないところでは, とんでもなく乱暴なプレーを行う. 蹴ったり殴ったり 脚を引っかけたり, 肘鉄を食らわせたり. 審判が見ているところでも, 死角に 入るとシャツを引っ張ったり, 突きとばしたりしている. テレビ中継が画像を拡大して詳細を見せるようになると, どんどんずるい プレーが見えてくる. たった一人の審判が, 選手と一緒になって走りまわる. その審判の裁量ひとつで試合が決まってしまう。

国際試合で日本人選手がときどきプレーを中断する. 相手選手が明らかな 反則をしたとき、そして自分が明らかな反則をしたと自己判断した ときである. 審判が笛を鳴らして試合を中断させるはずだと思い込む. テレビで見ている日本人の観客も選手と同じように笛を期待する。 外国人選手はおかまいなしにプレーを続行する. 筆者はここに「正々堂々」教育の結果が現れていると見る. 日本の若者も正々堂々のしばりから逃れられない.

昔は「お天道さまに恥ずかしくない行為」と言った. 誰が見ても卑怯でないプレー. 現代風に言えば, 四方八方 からカメラが見ていても道徳的に正しいプレーをするとき正々堂々たる 闘い方と言える. 他人が見ていなくても悪いことをしない精神. これだ. ひるがえって, 「フェアプレー」に関する筆者の解釈は, つぎのような ものである. 審判から見て反則行為がなければ, プレーはフェアである. これがすべてだ. 審判に見えなければ, たとえ見えた ときに反則になるべき行為も反則でない. フェアプレーの 意味は, ロングマンの「現代英語辞典」のとおりであることがわかる. いや, 事態はもっと進んでいる. 競技者は, 審判に見えないように反道徳的な行為を行うことを習得する.

この解釈からすると, フェアプレーと 正々堂々のプレーには天と地ほどの違いがある. で, 問題は, 国際試合に勝つために, 自分の子に正々堂々のプレーを 教えることをやめて「フェアプレー」を教えるべきかどうかである. 悩ましいとは思いませんか? というのも, わが国の「正々堂々」教育はスポーツ に限らないように見えるからである. 外交や軍事も駆け引きや技術の切磋琢磨は スポーツの場合と同じだ. この試合でも日本は正々堂々に徹しているのでは ないだろうか? 諸外国が「フェアプレー」を行っているとすると, 日本に勝ち目はない.

2011年女子サッカーのW杯で日本チームが優勝できたのはなぜか? いくつか理由はあるだろう. 筆者の考える有力な理由は以下のようなものである. 女子サッカーは歴史が浅い. 審判に見えないように反道徳的な行為を行う 習慣が確立していない. プレーは男子の場合に比べて「正々堂々」に近い. だから, 「正々堂々」のプレーを行う日本の女子チームに勝つ機会が多い.

(歴史天文学者)

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