『天の磐戸』日食候補について
国立天文台報, 13巻, 88 - 99, 2010 (谷川清隆, 相馬 充)


日本の古代史書『古事記』および『日本書紀』の神代に「天の磐戸」の 記述がある。筆者らは「天の磐戸」事件は皆既日食経験を記述したもの との解釈に立つ。最初に先行研究について述べる。候補日食を西暦1年 から西暦300年の間で探す。西暦247年の日食が「天の岩戸」日食候補で あることを, 2つの証拠を元にほぼ否定する。ひとつは, 最近の筆者ら のΔTの結果である. もうひとつは古代朝鮮半島の説話集『三国遺事』 の中の「延烏郎 細烏女」に描かれた皆既日食から得られるΔTの値で ある. すでに知られているように, 西暦248年の日食は北九州でも近畿 でも皆既にならない. だから, 西暦247年と248年の日食は「天の岩戸」 日食候補からほぼ排除されてしまう. 筆者らは, 「天の岩戸」日食候補を いくつか選び出す. 西暦31年の金環日食, 西暦53年の皆既日食, 西暦158年 の皆既日食, および西暦168年の金環日食は北九州で見られたはずである. 一方, 西暦53年の皆既日食, 西暦56年の皆既日食, 西暦146年の金環日食, 西暦154年の皆既日食, 西暦328年の皆既日食は近畿地方で観察されたはずで ある. 金環日食を除くと, 西暦53年と西暦158年の日食が「天の岩戸」の 日食候補として残る. 北九州または近畿地方でこの日食が皆既であったか どうかを決めるには, ΔTをもっと精密に決定する必要がある. 「天の岩戸」が紀元前の事件の場合には, 筆者らはなんら積極的な結論を 得ることはできない. 紀元前の日本歴史に関する筆者らの知識は乏しすぎる.

最後に, ある特定の皆既日食または金環食が, 天文学者のいない地域に おいて記録に残るための条件について考察する.

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