天文学者は歴史を書く 谷川 清隆 (国立天文台) 要約. 概観 (レビュー) 論文を書こう. 自分のやったことは自分で責任を持とう. 他人に自分の業績をまとめてもらおうと思わないで自分でまとめよう. 歴史書は自然にできあがるものではない. 誰かが価値判断を入れて書いている. 歴史づくりに参加している以上、自分の担当分野に関しては, 自分で歴史を 書こう. これが本小論で言いたいことである. 1. ある衝撃 最近の天文月報のある記事を読んだ. 記述内容はたいへん面白かった. 学問内容 とは関係ないところでわたしはひっかかった. 月報記事の「おわりに」で, 筆者らは自分達の研究結果が欧米の研究者に認識されていないことに, ある会議の会場で気づいたこと, そして自分達の成果の宣伝のため, その会場で冊子を手に走り回って説明したことを述べる. 日本の他の研究成果の多くと同様, 不当な 扱われ方であるとの印象をわたしは持った. だが, 衝撃はその直後にやってきた. 「やはり世界の僻地}に住む我々が, 成果を国際的に認めてもらうには, 『きちんと論文を書くこと』, 『まめに国際会議に出席して 発表すること』, 『よい外国人の友人を作って理解してもらうこと』といった 努力を必死で行う必要がある」と筆者らはまとめる. はじめの2つはいいとして, 3番目を読んで愕然とした. 自分達の成果が生き残るかどうかは(欧米の)研究者との 個人的なつながりに依存するのか. そんなことありか. とすると, 日本の科学はなんと危うい基礎の上に立っていることか. 大袈裟かもしれないが, そこまで思った. 実は, わたしが受けたこの衝撃には前歴がある. 十数年前, 数年間の欧州滞在を終えて帰国したばかりのある日本人研究者が ほぼ同じ趣旨のことを言っていた. 「欧州の研究者は顔の見える研究者の論文しか引用しませんよ」 冒頭記事の筆者らの見方がこちら側からのものであるとすると, この友人の ことばは向こう側からの見方であり, 相補っている. 十数年経っても事情が変らないこと, そして日本人の態度がいかにも 消極的であることが衝撃的であった. もし欧米の研究者が19世紀そのままに, 知っている者同士で科学を進めていると すると, 科学の国際化など, 日本人の考える絵空事であろう. 日本人もふくめて 欧米以外の「顔の見えない」研究者はいつもよそ者ということになる. このような状況をどのように打破するか? これが問題だ. そう思った. 2. 概観 (レビュー)論文数の調査 日本人は概観論文を書いているのか? ふと思いついて概観論文専門雑誌を調べて, 全体の中の日本人研究者の論文数の 割合を求めてみることにした. 選んだのは, 天文分野から'Annual Review of Astronomy and Astrophysics`, 物理分野から'Reviews of Modern Physics`と'Physics Reports`である. 概観論文を受け入れる用意のある一般研究論文雑誌もあるので, 例として, 米国の 'Publications of the Astronomical Society of Pacific`(PASPと省略)と日本の 'Publications of the Astronomical Society of Japan`(PASJと省略)の最近号 を調べた. 以下に見るように, 日本人研究者の書いた概観論文の数はきわめて少ない. 世界における日本の天文学や物理学の地位や日本人研究者の数からしてあまり にも, 日本からの貢献が少なく, 少なくとも天文学に関しては日本の影が 薄いように見える. 2.1. 天文学および天体物理学概観年報 (Annual Review of Astronomy and Astrophysics) この雑誌の場合, 編集者および編集委員会が資格ありと認めた人々に論文を 書いてもらう. 投稿は受けつけない. 大きな分野内の重要な進展を概観する論文誌である. 年 巻 論文数 日本人の論文 割合 日本人のみ 国際共著 ------------------------------------------------------------------- 2004 42 16 0 0 2003 41 16 0 0 2002 40 15 0 0 2001 39 15 0 1 2000 38 18 0 0 1999 37 14 0 0 1998 36 14 0 0 1997 35 17 0 0 1996 34 18 1 1 1995 33 17 0 0 1994 32 14 0 0 1993 31 18 0 0 1992 30 20 0 1 1991 29 18 0 0 1990 28 17 0 0 ------------------------------------------------------------------- 247 1 3 1.6 % 2.2. 現代物理学概観 (Reviews of Modern Physics) colloquiumとよばれる教育的概観が51編, それにノーベル講演が23編入っている. 掲載論文の半数は招待されたものである. 残りの多くは著者が申込み, 編集者の 誰かが薦めたものである. 飛び込みの論文は非常に少ない. 概観論文を編集者がどのように捉えているか. それを知るには, 本雑誌の趣意書 を読むのがてっとり早い. 雑誌が何を目指しているかは'article guidelines`に 書いてある. それを要約したので参考にしてほしい. 「関係者に役立つ形で物理の活動的分野を概観する論文を出版することを 目的とする. 発展中の分野も伝統的な分野も部外者にもわかるような概観論文が 望まれている. そこで, 材料の呈示の仕方に注意を払い, 大学院生や部外者が 理解できるような序を書き, 本論は経済的にまた緻密に順序立て, 大学院の 教科書などで確立した記法にしたがって執筆することが要請される. また, 専門家にとっても役立つよう, 当該トピックの現状を伝える. 歴史的背景や文献調査は当然含まれるべきであるが, 過去に行なわれた仕事を 単に並べただけでは不十分である. 当該トピックに関する進展を批判的に 蒸留したものであり, うまくいった方法や, 将来発展の見込める分野を指摘する ことなどがあるべきである. 伝統的な学問的概観論文を受け入れるが, それ以外に, 先進的物理学派による 教育的な論文も歓迎する. 審査基準は高い」 ------------------------------------------------------------------- 年 巻 通常論文 コロキウム ノーベル賞 日本人の論文 割合 講演 日本人のみ 国際共著 ------------------------------------------------------------------- 2004 76 21 4 3 0 0 2003 75 26 9 3 1 3 2002 74 25 5 2 0 0 2001 73 34 0 5 5 2 2000 72 25 4 2 0 2 1999 71 83 9 5 0 2 1998 70 27 6 3 1 3 1997 69 26 4 0 0 1 1996 68 23 4 0 0 1 1995 67 20 6 0 0 0 -------------------------------------------------------------------- 310 51 23 7 14 5.5 % 2.3. 物理学報告 (Physics Reports) 本雑誌は投稿を受けつける. 概観論文(Review)と短かめの概説論文(Short survey)を掲載する. 今回の調査では, 後者(ページ数は10〜40)も含めたが, 「割合」の計算では除いた. 編集者の趣意書によれば, Physics Reports では, 「活動的な物理学者に, 広い範囲のトピックスに わたって, 時宜を得た概観論文によって最新の進展を語ってもらう. 単なる文献調べよりは手広く, 専門書よりは手短に書いてほしい. 各報告は, 特定の主題を扱う. これらの概観論文は専門家を対象とするが, 十分な導入資料を含むことによって, 主たる点が非専門家にも理解できる ようにすべきである. 重要な発展や傾向を読者が見分けることができるばかりで なく, 豊富な文献リストにより, 元の論文に戻れるようにすべきである」 ------------------------------------------------------------------------ 年 巻 通常論文 短論文 日本人の論文 割合 Review Short 日本人のみ 国際共著 survey 2004 389 - 405 68 31 3 + 1 2 + 1 2003 373 - 388 55 0 3 0 2002 356 - 372 76 0 0 1 2001 340 - 355 74 1 1 1 2000 323 - 339 57 40 1 3 + 1 ------------------------------------------------------------------------ 330 72 8 + 1 7 + 2 4.5 % 2.4 PASP, PASJ ほか 一般の雑誌でも, 時には, 通常の論文以外に概観論文を掲載することがある. そのような論文をいくつも見逃している可能性はある. PASPに尾崎洋二氏が 概観論文を書いていることを知っていたので, PASPを選んだ. 1995年〜2004年日本人の概観論文の数は, 全62編中, 1996年に掲載された尾崎氏の 1編のみであった. PASJの場合, 概観論文は招待するものであり, 1987年以来, 4編ある. それ以前にはない. 1995年〜2004年では加藤正二氏の論文が2001年に 出た. それのみである. 理論物理学の進展(増刊) (Progress of Theoretical Physics Supplement)は, 最近は研究会の集録ばかり載せており, 概観論文のための雑誌ではないように 思える. 日本の和文学会誌を見てみよう. 天文月報の Skylight (スカイライト) は執筆要項によると, 「科学的に広い視点から, 科学的または一般的に注目されているテーマについて, 一般読者を対象にわかりやすく」解説することが期待され, 本人が行なった研究を「その研究の背景も十分に含めて記述」することとある. 天文月報のスカイライトの論説は, 筆者の考えている「概観論文」のうち, テーマを絞ったものに近い. ただ, たいへん短い. 物理学会誌の「解説」欄では, 原稿の執筆者への呼びかけとして 専門を同じくする会員だけでなく, 専門外の会員にも広く読んでもらいたいと する. 特に 「解説」には若い会員の興味を呼び, 将来の研究の指針となり, また, 専門を異にする会員にとっても, 新しい発想を生むきっかけになること, が強く期待され, 引用文献は必要最小限にとどめるように要求される. 以上の結果を見ると, 概観論文を日本の天文学者や物理学者がいかに軽視して いるかがわかる. 逆に, 概観論文は招待されて書くものである, と重く見すぎているの かもしれない. 日本の雑誌には, 概観論文を定常的に載せるものはないようだ. 自粛しているとしか思えない. 少なくとも奨励はしていない. 3. 概観論文の種類 天文学者は日々, 歴史を書いている. 論文を書くときには必ず序を 書くことになっている. 序では何を書くか? 分野や雑誌によって, また個人々々 で序の書き方に違いがあるようだ. 筆者の理解したところでは, 動機を書く. 先行研究を挙げ, その分野でその先行研究が果たした役割を評価する. 今回の論文が, どのような歴史的背景の下で進められ, どのようなことを 目指して行われたのか. そしてどのような結果が得られたのか. おおよそのことを書くのが序という場所である. 序を書くとき, 天文学者は歴史を意識する. 概観 (レビュー)論文ではもっと歴史に注意を払う. いく種類もの概観論文がある. 自分が関係する小さな分野を含む大きな分野を時間を遡って調査し, 問題点の 発展をさぐり記述する. 大きくいえば, 例えば「20世紀の天体力学」. このようなタイトルなら, 19世紀, あるいはさらに遡った記述も必要となる. 20世紀を用意した人物や仕事 から始める. わたしならフランスの大数学者兼天体力学者のポアンカレから 始める. そして勃興しつつある米国からはG.D.バーコフが20世紀初期を代表する 学者である. 天体力学と言えども, 広い. 摂動論ならvon Zeipel, Brouwerから古在, 堀とつながる. 途中, ミランコ ビッチが摂動論の結果を使って, 長期の日射量変動を算出したことまでは 触れない. 三体問題ならバーコフ, Chazyからロシアグループ, ドイツのジーゲ ル. という具合に, 世界のあちこちの研究成果を述べる. 戦後はKAM (Kolmogorov--Arnold--Moser)理論にAubry--Mather理論を入れないと 片手落ちになる. しかしこの理論はどちらも極めてむずかしい. 高度な数学を 使い, しかも論文が長大なので, 理論の流れだけしか追えないかもしれない. 電子計算機が1960年代に一般研究者に使用可能になってからの天体力学の発展も すごい. 純理論家にしか手が出なかった三体問題が数値解析の対象となり, 新しい解や現象が発見され, 観測天文学とのつながりも太くなった. 太陽系での発見もいろいろある. 20世紀前半, 日本からは地球回転で 木村 栄(ひさし)の木村項あるいはZ項, 小惑星の族の発見で平山清次, 相対論的 二体問題で萩原雄祐がいる. 制限三体問題の周期解を手計算で求めた松隈健彦も 入れたいし, 古在共鳴, 堀の摂動論は当然入れる. 木下宙もどこかに入れよう. 吉田春夫の非可積分性の仕事もいれなくてはもったいない. 三体問題の吉田淳三 にも触れる. 自分達の結果も歴史に組み込む努力をする. このように20世紀 終わりまで記述すると, 100ページにもなる. さらに未解決問題, 分野の今後の見通しなどを入れるとどんどんページが増える. ひとりで理論, 観測, 数値計算の全体を担当するのはむずかしい. だから 2人で書くことによって互いを補うことが可能だ. これに相対論的天体力学の 発展を述べようとしたらもうひとり必要になる. もっと狭い分野の概観論文も可能だ. 共同研究者と10年間に20〜30編の論文を ある分野で書いたとすれば, 自分達の結果を中心に概観論文を書くことが できる. たとえば, 2次元写像とくに面積保存ねじれ写像の周期解に関する歴史 と成果と展望. これなら書ける. あるいは, ずばり「最近30年の数値三体問題」 を概観する. この問題に関しては筆者にも論文がいくつかあり, 重要論文に多数目を通して いるので, 他の人にできない概観の仕方が可能だ. 最新の8の字解の論文も 勉強し, 関連して小さな論文をひとつ投稿した. 数値計算に関しては, レニングラード学派の仕事を紹介し, それを引き継いだ形 で自分達を紹介する. 手法はやや力学系にかたよっているかもしれない. 衝突 軌道と記号力学. 自由落下問題と1次元三体問題. 制限問題の概観も入れようと 思えば入れることができる. Heggie氏ら英国学派の仕事はたいへん健全であって, 三体衝突の断面積を追究している. だが, この方面では筆者は論文を書いた ことがないので,論文では触れないことにしよう. 書けば不正確になる. もっと言えば, この方面をまとめるには, 半年ないし1年は必要だ. 以上のように, 何年間か天文学分野に籍を置いていれば, 自然に自分の分野に関 して何らかの意見を持つに至り, どちらの方向に研究を進めるべきか道が見える ようになる. ただし, 概観論文を書くにあたって, すべての関連論文に目を通す ことは不可能なので, 記述から洩れる話題が多数ある. この意味で, 概観論文に は筆者の強い意向が反映される. それが逆に特定の概観論文を魅力的にする. 簡単にまとめると, 概観論文が対象とする分野は広かったり狭かったりさまざま であり, 取り扱う時間範囲も長いものから短いものまでいろいろある. 内容は分野が広ければ浅く, 狭ければ深い. 博士論文は, 場合によっては, 先行研究がたいへん上手にまとめてあるので, 参考になることが多い. とくに ある特定の狭い分野, 新興の分野について 知りたいとき, よい博士論文は利用すべき文献の筆頭に挙げることができる. 4. 概観論文執筆のすすめ 現代天文学の発展史は必然的に世界史である. 各国史あるいは地域史はあり得ない. 小さな分野であっても, また日本の片隅で論文を書いていようとも, その 論文の結果は, 天文学全体の中に組み込まれるべきものである. 地球上のどこから見ようと星は星である. いま日本で中天に見えている星は, 中国でも見え, 数時間後には欧州で中天に 見える. 星や宇宙に関する研究結果は, 日本発ということはあっても, 日本でし か通用しないというようなことはない. これが天文学という学問の性格である. 概観論文は天文学のある分野の歴史を書く. 書かれた歴史はその分野の 世界史であり, 大局的な世界史の材料となる. では, 概観論文は誰が 書くのか? 何か資格はあるのだろうか? ある分野の概観は世界でただ ひとりの人に任せておくべきなのか? 歴史の専門家の言うことに耳を かたむけてみよう. 英国のある歴史学者がいう[1]. 歴史は正しく書けるものだ, 歴史記述はいまこそゆらいでいるけれど いずれは唯一の記述に至るはず, また, 歴史家に残った役割りは正しい資料を 集めることだけになるはず, という信念が19世紀の英国にあったと. 20世紀に入って, その信念はゆらぎ, 「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり, 現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」 ということらしい. 歴史は絶えず書き換えられる運命にあるということだ. 「歴史家は必然的に選択的なものであります」ともこの歴史学者はいう. 歴史家が違えば選ばれる歴史的事実も違う. だから, 歴史家ごとに歴史が異なり 得ることをこの歴史学者が認めていると筆者は解釈する. 見識のある複数の研究者が同じ分野で概観論文を書いてもいいことはこれで わかった. どの程度の見識が必要なのだろうか? 「常に史料まで遡る用意のある研究家は立派な(歴史の)専門家である」と 別の歴史家はいう[2]. 先行研究者の多数の論文を理解して分野をまとめる力量 を持つ研究者なら誰でも歴史の専門家ですよ, と保証された気になるではないか. 現代のように天文学の成果を発信する国や地域が複数あって, そこから論文が 山のように出版され, それぞれの国や地域に見識のある研究者がいる 状況では複数の世界史があり得る. それぞれの著者が自分を主人公にし, 近隣の人を脇役にして概観論文を書くからである. 有力な地域の著者は有力でない地域からの仕事など気にせずに歴史を書く. このような事態が生じているとも考えられる. とすれば, 有力でない国や 地域に住む研究者は, 自分達で概観論文を書かない限り, 成果が歴史に残らない 可能性がある. 冒頭の問題に戻ろう. 本小論の文脈からすると, わたしには冒頭記事の筆者らのことばが次のように 聞こえる. 「欧米の研究者の書く歴史に自分達の成果が組み込まれていない. だから, 個人的なつながりを強くして, 歴史に書いてもらうようにすべきだ」 わたしは次のように考える. 日本発の概観論文を多数出版することにより, 日本発の天文学の世界史が書かれ ることになる. これは欧米で書かれた世界史とは違うだろう. こうすれば, 日本発の研究結果が無視されやすいという状況が少しは改善される可能性が ある. なぜなら, 研究分野が完全に重なっている研究者は世界中にいないから, 日本発の概観論文は, 欧米研究者にとっても有用なはずである. そこでかれらは 日本風世界史を学ぶはずである. 日本風世界史は日本の読者にとっても重要である. だから, 概観論文は日本語に 翻訳するか, 日本語でも書くべきである[註参照]. これの必要性についてはすでに 別の機会に述べたので, ここでは詳しくは触れない[3]. 概観論文を自分達が書くことにはもうひとつ大きな, もしかしてもっと重要な 効能がある. われわれはどちらに進めばいいのか知りたい. 概観論文は過去から現在への研究動向を書く. 過去から現在への方向ベクトルを書く. そのベクトルは実は未来を指し示す. 概観論文を見て, 今後どのような方向に学問をすべきか, 読者は その方向をさぐる. よい概観論文はこの方向ベクトルを明瞭に書く. 今後進むべき方向を指し示す. 外国で書かれた概観論文によって指し示された方向や借り物の問題意識でなく, 自分達の問題意識で未来へと進むことができる. 最後に本節のまとめを述べよう. 日本の天文学界が概観論文を定常的に 掲載する雑誌を持たないということは, 日本の天文学者が自分達で歴史を 書こうとする意志がなく, 他の国や地域の研究者に歴史を書いてもらうことを 期待していることを示す. 5. 概観論文の投稿先 概観論文を書いてどこに投稿するのか? 2節で取り上げた概観論文誌はたいへん 敷居が高い. それに, 米国の雑誌なら主として米国在住の著者のために開かれて いる. 通常の論文と違って, 歴史にかかわる. 自国に欠けている分野で, 自国にその分野の研究者を増やしたい場合に, たとえば日本の専門家に, その分野の歴史と現状をまとめてもらう. これならあり得るだろう. ある分野を概観してもらうのに, 自国の専門家でなく, 他国の同業者 (ライバル)に書いてもらうことなど考えられない. 現在, 日本国内には, 概観論文(歴史)を書くことを奨励する雰囲気もないし, 積極的に執筆すべきだという研究者間の合意もない. このことは, PASJに4編の概観論文しか掲載されていないことに反映している. 筆者の印象では, 日本国内に, PASJに概観論文を掲載すべき 研究者は何人もいる. PASJ編集部がそのような研究者に声をかけたり, 研究者本人が積極的に概観論文執筆に取り組むことを筆者は期待する. かれらは概観論文の質としてPASJが要求する高さに十分応えられるはずだ. 概観論文がPASJの一般論文の中にすでに混じっているとの情報もある. 概観論文を書いてみたいと思っている研究者がいないわけではない. 筆者自身が以前から書くことを願い, 準備中でもあるからだ. しかし, 日本の研究者は概観論文の書き方に慣れていない. 練習が必要である. 単なる練習では達成感が得られない. 書き方の下手な論文, 論理がまわりくどい 論文. いろいろあり得る. また, 査読者も慣れていない. 査読者も練習が必要で ある. 端的に言えば, 敷居の低い雑誌が必要である. はじめの論文はたどたどしくてもいい. 雑誌の地位は論文がよくなれば上がるものだ. 日本人の英語が下手なことは仕方ない. 内容が悪いわけではない. 数年ないし10年をめどに, 徐々に論文の質を高めていけばよい. この部分は編集者の腕の見せ所である. 6. あとがき 筆者は, ふたりで書いた長い概観論文を, ある専門雑誌に投稿して掲載拒否 された経験が最近ある. 査読者からの返事にはいくつも厳しい批評があった. 査読者からの注文にある程度こたえ, 次にどこに投稿しようかという段になって, はたと困った. 投稿すべき雑誌が国内にない. PASJにはいままでに4人しか概観論 文を書いていない. 思案中のまま数ヵ月が過ぎた. 2人で2, 3年かけて 書き足してきたのだからこのまま捨ておくのはもったいない. 構想されているアジアジャーナルに概観論文を受け入れる場所を作ってもらう としてもかなり先の話だ. という具合でぐずぐずしている. 本記事は, 原稿の段階で読んでいただいた方々からの示唆や批評を参考に 書き変えた部分がある. これらの方々に感謝する. (2005年12月5日) 参考文献 [1] E.H. カー , 歴史とは何か, 岩波新書, 清水幾太郎訳, [2] 宮崎市定, 「中国文明論集」の中の『中国の歴史思想』, 岩波文庫, 1995. [3] 谷川清隆, 日本語と日本の科学, 天文月報2003年8月号, 443 - 452. 註. まったく同じ内容の論文をロシア語で載せる雑誌と, 英語で載 せる雑誌が米国では共存している. 研究雑誌そのものの翻訳である. 米国の研究者は, 旧ソ連の雑誌の論文を全部英訳して英語の雑誌を作った. この伝統はソ連がロシアになった今も続いている. Astronomicheckii Jurnal は Astronomy Reportsとなり, AstrofizikaはAastrphysicsとなっている. どちらも日本に入ってきている. 概観論文誌でわたしが知っているのは, Russian Mathematical Surveysである. これはロシア語ではUspehi Matematicheskikh Naukという. 日本国内で, 英語の概観論文誌を持ち, その邦訳誌を持つことが不自然でない ことを上のことは示している. ただし, 日本では商業的には成り立たない. 学会などの事業として行なうべきである. 英文タイトルと要約 Astronomers Write Histories of Astronomy Abstract The author recommends Japanese astronomers to write review papers. The author also recommends the Japanese Astronomical Society either to regularly publish review papers in the Publications of the Astronomical Society of Japan or to have a journal which accepts only review articles. The reason is simple. The Japanese astronomers have their own responsibility to write a history of their field in astronomy. The author is afraid that their scientific results may be neglected in the histories written in other countries, and as a result, they may be forgotton by their own descendants.