このたびは講談社科学出版賞をいただき、誠にありがとうございます。ほとんど執筆経験のない私がいきなり栄誉ある賞に選ばれるとは、思いもよらないことでした。そもそも著名な方々をさしおいて執筆の依頼があったことが驚きでした。機会を与えていただいた講談社の山岸浩史さん、最後まで粘り強く協力してくださったデザイナーの齋藤ひさのさんに深く感謝しております。
拙書では、難しいイメージのあるブラックホールをなんとか平易に解説しようと心がけました。ただし、難解だからと物理を避けていては、正しく理解できません。物理を押さえ、しかし平易に、という相反する要請を満たすことをめざしました。また、すでに解明された事実だけではなく、まだ結論が出ていない最新の研究もあえて盛り込みました。ともすれば覆る仮説を文字にするのは大胆な試みでしたが、研究の最前線の迫力をお伝えすることも自分の使命と考えたからです。どこまで達成できたかわかりませんが、こむずかしい物理を楽しみながら、ブラックホールをおおまかに理解していただければ幸いです。
正直に申しますと、拙書には執筆を引き受けてから調べたことが多分に含まれています。いっぱしの専門家のつもりでいましたが、執筆活動を通じて、みずからの無知と不勉強を思い知らされました。この本によっていちばん勉強になったのは読者の方々ではなく、私自身だったと思います。受賞を機に、今後もいっそう精進します。
「思考可能なものは存在し、存在するものは思考可能である」とは、パルメニデスからヘーゲルへと続く合理主義哲学の基底にある根本思想である。ブラックホールはまさにこの思想の証左として登場する。初めは論理的帰結としての理論上の存在でしかなかった。ところが、観測上の不可解さとの整合性において“実在”が容認される。いったん実在と認められれば、そこから複雑な生態の解明が始まるのは必定である。
しかし、ブラックホールの解明とはいっても、研究対象は目の前にはない。頭の中、あるいはコンピュータの中にしか姿を現さない困った存在なのだ。コンピュータ・シミュレーションの研究者である著者による本書は、“実在”するブラックホールについての現時点での情報を、可能な限りわかりやすく一般読者に伝えようとする力作である。厳密さは犠牲にしてもイメージだけは伝えたいという著者の熱意と潔さが、秀逸な一般科学書を生んだといえようか。
今回の選考で印象に残ったことが二つある。一つは、“日本のお家芸”である科学研究分野を扱ったものが候補作の大半であったこと。日本の科学の底力は一般読者にももっと知られて然るべきであろう。もう一つは、研究の中核を担う若い研究者たちの著作が増えたこと。本書はこの二つの要素を両方、満たしている。広範な科学リテラシーが、地味だが着実に成長しつつあることは、先が見えにくい日本の将来にとって希望の光の一つといえるのではないだろうか。(吉永良正)